プロフィール
1974年生まれ。国士舘大学法学部法律学科卒。ドラゴンな柔道整復師芸人。日々の生活にドラゴンやアチョーを取り入れた生き方を実践・提唱している。この際ついでだから大乗筋トレ教の開祖を名乗る。
持ってる免許、資格について
柔道整復師免許(国家資格)
中学校教論一種免許
高等学校教論一種免許(公民)
柔道初段
タイで取ったタイ古式マッサージの免許+足裏マッサージの免許
整体の免許各種
他人にはまったくどうでもいいワタクシの経歴です。
1974年
聖人聖母の間に生まれる。
幼稚園年長時、腎炎を患い入院。高熱が出やすいとのことで扁桃腺を摘出する手術を行う。以来、声が高くなりコンプレックスとなる。
小学校3年生くらいの時プロレス中継でロードウォーリアーズを見てその恐るべき肉体に衝撃を受ける。以来、筋トレがマイブームとなる。とはいえその内容は腕立て30回、腹筋30回といった程度のもの。のちに大人になったときウォリアーズのホークがドーピングをしていたことを知る。
中学生になり、妙に足が速かったので陸上部に入部。そこそこ活躍。まだガキなのでうぬぼれも強く、早くも人生の勝利者の気分を堪能する。しかし毎試合勝たなければいけないプレッシャーでイヤになり、中学生時代で陸上をやめる。
今現在では「名前が漢字で書ければ入学できる」という高校に入学。小林まこと著の漫画「柔道部物語」がとても面白かったので柔道部に入部。全く技が身につかず、己が平凡かそれ以下の人間であることを知る。引き分け要員として活躍、私以外のメンバーは強かったので公立高校としてはそこそこの成績だったと思う。最後の団体戦は東海大相模と当たってぶちのめされる。個人戦では現役最後の試合で白帯相手に技を返され一本負けをするという伝説を作る。
受験勉強はムリだと思ったので先生方に媚びを売り指定校推薦にて国士舘大学法学部法律学科に入学。少しは活躍したいという思いから足の速さが活かせそうなラグビー部(体育学部のではない)に入部。足の速さも光ったがラグビーの才能の無さも光っていた部員となる。3年生時、全くの自爆でもって肩関節を脱臼し手術までする。
また、大学の授業でロスオリンピック金メダリストの斉藤仁先生が柔道の講師となっていることを知り迷わず選択、私がクラスで唯一の黒帯だったのでこのクラスのリーダーに抜擢される。授業が始まったらクラスの準備体操、各種受け身を行いその後斉藤先生を教官室までお迎えに行くというお役目を頂く。多少親しくなり斉藤先生は下ネタが大好きだという実感を得る。と、ある授業中、先生が膝を痛くされ倒れられた(古傷だそう)。「おい、引っ張って捻ってくれ」とおっしゃられたのでその通りに行ったつもりが「違げえよ!逆だよ!」と、どうやら良くなる方向と逆に捻ってしまったらしく悪化。先生に「本当の意味で俺を現役引退に追い込んだのはお前だ」というありがたくないお言葉を頂くも、その話のネタは現在に至るまで活躍中である。尚、先生の膝の症状については当時全く解剖学的知識がなかったこともあってか今でも良くわからない。
オフィスラブに憧れ住宅商社に入社するもうまくいかず(モテなかった)、「話が違えじゃねえか!!」と辞表をたたきつける。
フリーターになった折、友人から整体の学校(教室?)を紹介され、このことが現在までの仕事の転機となる。ものすごくインチキくさい整体学校に多額の現金を支払う。後にそこの先生が「私はこれからB型肝炎と闘わなくてはいけない」と逃げる。
宙ぶらりんとなったので(この仕事で食っていけんのか?)という疑問からとりあえずリラクゼーションのバイトをはじめる。
思わず2年くらいそのバイトが続いてしまったことから周囲から「そんなら国家資格でも取れ」とプレッシャーをかけられ押し切られる形で柔道整復師の学校に入学する。
その専門学校にて同級生であった椿屋サメオ氏と出会い人生で初めてドラゴンな生き方を目の当たりにする。親しく付き合ううちに毎日の食事に少量の毒を盛られるが如くドラゴンが注入され、体内においてもドラゴンが醸成されていく。
以後、10年以上の歳月がたち現在に至りドラゴンな柔道整復師芸人となる。